−中国の歴史書とオリエントの美術品−

『宋史』「外国伝」のイスラームガラス

学芸員 小野田 伸


 平安時代後期、最初の武家政権を樹立した平清盛(1118〜1181年)は、日本史上の人物の中でも、名前がよく知られている人の一人でしょう。その清盛が権勢をふるった頃、中国とのあいだで行われた民間貿易を、当時の中国の王朝の名前をとって、日宋貿易と呼び、清盛も盛んに行っていたようです。
 この日宋貿易の相手、中国の宋王朝(960〜1279年)の歴史書『宋史』の列伝(群臣などの事蹟を各別に並べたもの)には、諸外国のことを記した「外国伝」があり、日本のことも書かれています。また、当時の西アジアはすでにイスラーム社会になっていましたが、唐代や宋代の中国人は、イスラーム教徒やアラビア人のことを大食と呼び、同じ『宋史』の「外国伝」に大食国の記述があります。
 その「外国伝」の大食国の記述の中には、大食国からガラス器がもたらされたという記述が4ケ所あります。
その中の一文をご紹介しましょう。

 至道元年、…(中略)…来献…、眼薬二十小琉璃瓶、白砂糖三琉璃甕、…薔薇水二十琉璃瓶、…。
 (訳)至道元年(995年)、大食国から使節がやってきて、…眼薬の入った小さなガラス瓶が20個、白砂糖の入ったガラスの甕(かめ)が3個、…バラ水の入ったガラス瓶が20個、…などを献上した。

 つまり、美術品としても扱われたガラス器(もちろん、普及品もありました)は、貴重な中身を入れた形でも運ばれていたことがわかります。
 ここでは、一番最後に記述のあった「バラ水の入ったガラス瓶」に注目してみましょう。



銀製バラ香水入れの展示。
当館開催の特別展「インド宮廷文化の華」(1994年1月2日〜2月13日)より。


 上の写真は、当館でかつて開催した特別展のものですが、ここには19世紀インドの銀製バラ香水入れが展示されています。これらは頚が長く胴の丸い形状をしていますが、こうした形状の器が、バラ水を入れるために用いられることが多かったようです。

 また、下の写真は、当館常設展のイスラームガラスです。これらの形状も細長い頚と丸い胴を持っていて、バラ水を入れるために用いられた可能性を考えることができるでしょう。もしかすると、文献に出てきた大食国の「バラ水の入った20個のガラス瓶」も同じ形状をしていたかも知れません。


イスラームガラス(長頚瓶)の展示。当館常設展より。
それぞれの器をクリックすると、大きい写真と説明が表示されます。

 こうした、話は推測の域を出ませんし、文献の記載については様々な角度からの検証が必要です。しかし、時には学術的な証明の話は抜きにして、現代に遺された美術品と、文献の記述とを重ね合わせて、当時に思いをはせるのも楽しいことではないでしょうか。

 上にとりあげた文献の記述には、「眼薬の入った20個の小さなガラス瓶」もありました。当館常設展のイスラームガラスの中には、下の写真のように様々な形のガラス小瓶もあります。これらの中には、西アジアから中国へと運ばれたガラス小瓶と同様の形をしたものがあるのかもしれません。


常設展で展示中のガラス小瓶。
写真中のガラス小瓶をクリックすると、大きい写真や解説の表示されるものがあります。

簡単な用語解説

「大食」とは、唐代や宋代の中国でイスラーム教徒を呼んだもので、狭い意味ではアラビア人のことをさしていました。意味する内容が一定ではなかったので、解釈する場合には注意が必要です。

バラ水:イスラーム世界で好まれたバラは、蒸留器(これが、現在香水の精製に用いられる蒸留器のもとになりました)にかけられて、バラ水が生産されました。大食のバラ水は、現在のイランの名産品といわれていますが、宋代の中国へ伝わったものの多くは、代用品だったという説もあります。

「琉璃(るり)」は、ここでの場合もそうですが、ガラス類をさすことが多かったようです(ただし、仏教用語として用いられる場合を除きます。また、時代や解釈の仕方によっても違いがあり、完全に特定することはできません)。
 (ネット内企画展示・ワンポイント情報「大秦国の十色のガラス」、簡単な用語解説、参照)

『宋史』は、宋王朝(960〜1279年)の歴史書。日本の古代史でとりあげられる「倭の五王」が中国へ使いを送ったという記事があるのは『宋書』で、魏晋南北朝時代の宋王朝(420〜479年)の歴史書。

参考文献:『アジア歴史事典』平凡社 1959年(新装復刊 1985年)
     山田憲太郎『東亜香料史研究』中央公論美術出版 昭和51年
     展覧会図録『香りの美学展・』高砂香料株式会社創業75周年記念 1995年